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〔 バ ス 〕

9歳頃  体重13kg
9歳頃 体重13kg

 

2010年4月7日午前8時すぎ、バスは虹の橋へ旅立ちました。享年14歳と8ヶ月。
楽しいときも辛いときも、いつも側にいたバスが逝ってしまった…。容態が急変して2日目、いつかこの日が来ることを覚悟はしていたけれど、あまりの突然のことで愕然とし、全身から力が抜け、これから何をどうすればいいのか思考停止状態に陥った…。ただ桜が満開だったのだけは覚えている。
亡くなってから火葬までの2日間は、バスを慕ってくれた、たくさんの方たちが最後のお別れにきてくれた。悲しみをまぎらすことができ、ありがたかった。火葬に出す10分前には、おとんは今までこらえていた涙があふれてきた。おかんと2人で声を出して泣いた…。
バス今までありがとう。また虹の橋で会おう…

 

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3ヶ月頃のバス
3ヶ月頃のバス

〈出会い〉

ショートケーキを入れるような小さな箱を開けると、コロコロとした元気な子犬が大きな目をパチクリしていた。
1995年夏、阪神淡路大震災のショックもさめやらない暑い日にバスと出会う。おとんとおかんの犬猫生活はここから始まった…。
ある日、おかんが唐突に犬を飼いたいと言い出した。おとんは犬は好きだったけど今まで飼った経験がないし、当時はペット禁止のマンション住まいだったので犬との生活なんて考えたこともなかった。というより心のどこかに犬を飼いたい気持ちを封印していたように思う。しかし、おかんの「犬を飼いたい」の一言で、犬と一緒に暮らすのが夢だったおとんの心をゆさぶり、封印が解けてしまった。

毎日が楽しかった
毎日が楽しかった

どんな犬種にするかは最初に言い出したおかんが主導権を握っていた。その頃は里親募集や譲渡会があるという知識が2人になく、おかんが動物好きの知人に相談してブリーダーを紹介してもらった。ブサイクフェチのおかんはパグに決めていた。
うちに来たバスは走り回り、飛び跳ね、顔を舐めまくる。ご飯をやると一気に食べ、まん丸になった腹を上にしてパタッと寝てしまう。小さなイビキを聞いたときは2人で笑い転げた。その日からバス中心の生活になった。夜は川の字で眠り、散歩に行くときはポケットやバックにバスを入れマンションを出る。近所の裏道ではいろんな発見をし、休みの日は河川敷で遊び、海・山・川や旅行も一緒に出かけ、犬友達もたくさんできた。

小豆島にて
小豆島にて

犬と暮らすというのは毎日がこんなに充実するものだったのか…もしバスと出会っていなかったら…と考えると恐ろしい。バスがいたおかげで精神的に何回も助けられた。夫婦の危機もバスが救ってくれた。気持ちがやすらぎ、笑いも絶えなかった。「人生は犬で決まる」というC・W・ニコル氏の著書を読んだとき、まったくそのとおりと思った。

ご飯を食べるとすぐに爆睡
ご飯を食べるとすぐに爆睡

青年期のバスは大型犬のような風貌で堂々として、無駄吠えをすることもなかったが、ご飯のときと、おかんの姿が見えなくなったときは、いつまでも吠えていた。おかん命のバスだったが、どんな犬猫や人にもやさしく、天然でユニークなのでみんなに愛されていた。

晩年のバスは足が弱くなり、ほとんど歩けなくなったけど食欲だけは旺盛だった。朝晩、公園へ抱っこで連れて行き、用を足すポイントで降ろす。気に入らなければ抱っこをして次々とポイントを移動する。天気のいい日は1時間くらいのひなたぼっこをした。なにをする訳でもなく、ひたすら座ってぼんやりとしているのが幸せな時間だった。散歩から帰るとご飯を食べ、水を飲んだら、すぐにイビキをかいて爆睡。その頃は「キングバス」と呼んでいた。存在感のあったバスは、ただもうそこにいるだけでよかった…。

 

初めて作成したこの里親探しのホームページが出来上がるまで、がんばってくれたバスは、

「これからはボクの代わりに、新しく出会う犬猫たちをよろしく。」

というメッセージを残していったように思う。

 

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